WESTSIDESTORYSomewhereのゆくえ

エストサイドストーリーにおいて鍵概念といえるものにSomewhereがある。サムウェアはちょっと前まで僕のテーマみたいなものだったし、前回の観劇記事でうっかり触れるのを忘れてしまったので、たいしたものにはならないが、いちおう書いておく(もやもや気になるので)。

細かいストーリーについては前回の記事を読んでもらうとして、そのジェッツとシャークスが決闘することになったとき、トニーは両チームのリーダーであるリフとベルナルドに素手の喧嘩をするよう進言する。ベルナルドはそのようにはなしを運ぶトニーじしんが相手になるものになると思い込んでいて、うっかりこのはなしを飲んでしまうが、トニーは喧嘩には参加しない。そうして、ジェッツでいちばん強いもの(名前忘れた)とベルナルドが1対1で喧嘩をして、この件は終わりにしよう、というようなはなしになる。これはこれで平和的解決というか、トニーはなかなかいい提案をした、素手ならとりあえず死者は出ないだろう、というくらいの感じにおもえるのだが、これを聞いたベルナルドの妹でトニーの恋人であるマリアは、そもそも喧嘩がよくない、素手でもなんでもやめさせてくれとトニーに頼む。トニーはマリアがなぜそういうことをいうのかよくわかっていないようだが、マリアがそういうならと、おそらく恋愛の初期段階にある全能感も手伝って、これをうけあう。

すでにベルナルドたちのボクシング風の喧嘩は始まっている。遅れてやってきたトニーはこれを止めようとするが、血が沸騰するほど興奮している彼らは止まらない。リフはなぜ止めるのかという感じだし、ベルナルドは、妹にちょっかいを出しているいちばんムカつく野郎が出てきたと、トニーを挑発しまくる。トニーはジェッツの創始者でリフの親友なので、その挑発にはむしろジェットの面、とりわけリフに効果的である。そうして、ついにリフが上着を脱ぎ、ベルナルドと同時にナイフを出す。トニーがもたもたと邪魔するうち、ベルナルドのナイフがリフの腹をとらえて彼が死亡、呆然とするベルナルドを、今度は逆上したトニーが刺してしまう。かくして、1幕の終わり、中心人物だったリフとベルナルドが地面に転がり、喧嘩を止めにきたはずのトニーが逃亡者となってしまうのである。

すさまじい状況であり、兄を殺したトニーを、マリアが許せる道理はない。しかし同時に愛している。トニーが殺人犯なら、じぶんも殺人犯だと、そういうふうに感じるマリアは、引き裂かれる感情のなか、トニーとともにここではないどこか、つまりサムウェアその存在を願う。じぶんたちにとっての場所、時間が、世界のどこかにあるはずだと。

映画では、このSomewhereという曲は、いちばん最後、トニーがマリアの婚約者チノに撃たれたあとにうたわれる。しかし舞台版はそうではない。この、トニーとマリアが事件のあと顔を合わせたところでもうたわれる、というかかかるのである。僕はこのことはすっかり忘れていたが、これまで観た海外版も含めて、舞台にはたしかにこの演出があったということを思い出した。なにかこう、事物の意味が剥ぎ取られた幻想世界のようなところで、人物たちが踊るのである。印象的なのは、エニバディズ夢白あやがこのダンスを主導するということだ。エニバディズは女の子だが、ジェッツの不良たちに憧れており、なんとかグループに入ろうとするが、いつも馬鹿にされて追い払われている。ジェッツがアニータを襲う場面など、かなり胃の底に響く感じの差別的表現が多いなか、エニバディズはどこにも属さないまま、ちまちましたからだでタフに街の狭い道とかを行き来している。特にジェッツのメンバーの名前は、どういう由来でつけられたかわからないあだなが多いが、anybodyというのもなかなか象徴的でもある。彼女は、いってみれば何者でもない、どこかの住人なのである。\xC1

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サムウェアの幻想世界では、ジェッツもシャークスもなく、ひとびとが白い衣装をまとって入り乱れる。彼らがおのおの抱えている社会的価値、公の文脈で解釈するときに付け加えられる要素をすべて漂白し、いわばなにものでもないものになって踊るのだ。これをエニバディズがリードする。

このサムウェアは、ふつうにみると、公にとらわれて身動きがとれないふたりが、自由な世界を願い、ちょうど心中を決めた恋人たちが奇妙な気楽さで死やその後の世界について語るように、現実逃避も含めて夢想しているようにとらえられる。しかし、とりわけ舞台版では、このうたの世界にジェッツやシャークスのメンバーがあらわれることで、事態を複雑にする。果たしてトニーとマリアは、この幻想世界のような、誰もが仲良く暮らせるような中和された世界を求めているだろうか。恋と親しいものの死、それも自らの手による死に追い詰められている彼らに、そういう考えをする余裕はないのではないかとおもう。つまり、あの世界はそのようなたんじゅんなものではないのである。

では、あそこでうたとともに描かれるサムウェアとはなんなのか。僕は以前から、あの世界は、区切りも明瞭な、一個の世界なのではなく、ある種の動性なのではないかと考えてきた。語り口として、河合隼雄の言い回しが役に立つ。河合隼雄は、人間を心と体にわけてとらえ、考えることはできるが、その心と体を合わせてみても、人間にはならない、このときに失われているものがたましいだ、という言い回しである。これは、わかりにくいかもしれないが、心たましい体という図式に分けて人間をとらえたほうがよい、というはなしではない。仮にそのように考えたとしても、同じように、その三つを組み合わせても人間にはならないだろう。ここで問題になっているのはそのデジタルな区分である。だから、たましいというものを指差して、それがあることを指摘することはできない。それは、それじたいではたしかめることができず、失われているというしかたを経由しなければ確認できないような、水中の気泡のようにつかみどころのないものなのである。

どうしてこの言い回しが使えるかというと、トニーたちの感じているサムウェアが、実物としてはもちろん存在しないにもかかわらず、彼らにはありありとそのありかがわかるからである。ここで心と体を、私と公と見立てればいくぶん見通しがよくなるかもしれない。つまり、通常わたしたちは、特に自覚もないまま公の文脈で、ジェッツのトニーだったり、ドクの店で働くトニーだったりしながら、社会的価値として機能している。ところが、強烈な恋愛が、ここから私を分裂させてしまう。このとき、なにかが失われる。失われるから、ないことが自覚される。厳密にはもともとないものなのだが、感覚としてはそのような経路をたどる。それがおそらくサムウェアという動体なのである。このとき、わたしたちは、ないという知覚のしかたで、それがあるということをありありと感じ取るのである。誰も彼もがわかりあったサムウェアの世界にわたしたちはたどりつくことができないが、それは、そんなものが存在しないからではない。そこにいこうと感じるときというのが、もれなくそれを失ってしまった(と感じた)ときだからなのだ。だからこそ、サムウェアの曲には、悲しみと\xA4

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世界が公と私に分裂したときサムウェアは知覚のなかに現前する。この世界をリードするのがエニバディズだというのもそう考えれば自然である。彼女は、もともと属している公がない。それを求めながらも、なにものにもなれずちょこまかとたゆたう沖合いの船のようなものなのだ。そして、リフとベルナルドの死は、おそらくジェッツやシャークスのメンバーも分裂させたのである。公の文脈で暴走した彼らは、ついにひとを死なせてしまった。このときふと、流れに任せて無自覚に行ってきた公のふるまいに自覚的になり、ジェッツに入る前にはあったかもしれない初期衝動以前の地点に彼らを引き戻す。トニーたちの幻想世界に彼らがあらわれるのは、作品全体にそういう分裂が起こっているからかもしれないのだ。そして、そのうえで興味深いのがやはりエニバディズである。彼女はちまちまとして小さいので、スパイ的な行動が得意だ。1幕ではほぼ無視され続けてきた彼女は、さまようトニーを保護して守ろうとするジェッツ、特にアクション瑠風輝に、ついに認められる。このとき、彼女はなにものかになるわけだが、同時にこれは、彼らがこんな事態になってはじめてエニバディズ

の存在を目にとめた、という意味合いも含んでいるととらえられるのだ。だから、アクションはジェッツとしてというより、公と私のはざまで混乱する状況でエニバディズに出会い、その位置をたしかめているのである。

そして、今回はじめて気がついたのだが、トニーがチノに撃ち殺される直前である。チノはマリアとトニーができていることに気づき、兄貴分だったベルナルドを殺したカタキでもあるトニーを殺そうとピストルを手に街に出る。いっぽう、ベルナルドの恋人だったアニータは、それでもマリアに理解を示し、マリアからの伝言を伝えようとトニーが隠れているドクの店にやってくる。そこでアニータはジェッツの面に襲われ、ドクに止められるものの、すべてに失望、というか絶望した彼女は、マリアは死んだ、チノに殺されたと吐き捨ててその場をあとにする。これを聞いたトニーもまた絶望、じぶんも撃ち殺してくれと、チノを探して街をさまよう。このとき、トニーはいちどエニバディズと遭遇する。これは、けっきょくは現場にジェッツを呼び出すために必要なだけの展開ともいえる。しかし、ちょっと気になるやりとりでもある。しつこくトニーを隠そうとするエニバディズに、細部は忘れてしまったが、うるさくおもったトニーは、お前は女だろ、引っ込んでろ、的なことをいうのである。これが、いままで自覚はしてこなかったのだが、ちょっと引っかかったのだ。ここでトニーが立てて\xA4

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ここには、なにものでもないものというものは、存在不可能である、ということがあるかもしれない。エニバディズはたしかに、社会の共同体的な意味でどこにも属していないかもしれないが、それでも女性である。古い女らしさみたいなものをトニーが瞬間的に想定して、そうあれとエニバディズにいっている、なんていうような素朴なはなしではないだろう。これは要するに、ほんの数瞬前まで感じられていたサムウェアがマリアの死のしらせ(ほんとうは生きている)とともに消え去ってしまったことに、おそらく対応している。サムウェアがありありと感じられているとき、それが実在しようとなんであろうと、トニーはなにものでもないものを信じることができただろう。だが、それは消失した。厳密にいうと、それがいままであったということを遠く感じていた感覚が失われた。サムウェアはつきつめると感覚でしかないので、これが消えてしまうと、自発的には取り戻すことができなくなる。あんなに好きだった恋人なのに、ある瞬間、ある出来事を通して一気に熱が冷めてしまい、好きだったときの感覚がまったく思い出せなくなってしまった、みたいなことはよくある。トニ\xA1

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エニバディズはそういう点でも鍵だが、今回は、アニータが襲われている場面で彼女に注目してみた。映画ではなにか微妙にうつらない感じになっていてよくわからないし、これまでの観劇の経験でも、記憶にはないので、たぶん注目したことがなかったのだろう。当初、みんなといっしょになってアニータを馬鹿にしていたエニバディズだが、次第に様子がおかしくなっていくにつれ沈黙し、最終的には状況に背を向けて、すみのほうにしゃがみこんでしまう。この演出ひとつとっても実にショッキングな場面なのだが、この場面がショッキングなのは、リフとベルナルドの死という事件を経由し、いままでの文脈でいうと公と私の分裂から目覚めが兆しながら、それでもまだ彼らがそのような行為に及ぶという絶望感だろう。しかも、この行為は、彼らの未熟さだけがさせたものではない。社会の構造がもたらすある種の必然としてあつかわれているふしもあるのだ。アクションがそんなようなことをいっていたが、そのようにふるまわなければ自我を保てない、深い闇がそこにはある。アニータを差別し、そのような対象としてみなし、じっさいに行為に及ぶという、その行動を通して、彼らはみず\xA4

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この状況に背を向けるとき、エニバディズは少なからずじぶんの女性性みたいなものを自覚しただろう。これもたぶんトニーの発言と響き合う。彼らが彼らであることにこだわりつづけたことは、すでにひとをふたりも死なせており、彼らじしんそこに恐怖を感じている。にもかかわらず、それは呪いのようにまとわりついて離れず、それどころかさらに過剰な行動を強いてくるのである。エニバディズも、おそらく彼女が逃れようとしている女という意味が追ってくることを確認しているだろう。彼女だけではなくジェッツのメンバーも、じぶんがじぶんであること、そこから逃れられないことにおびえていたかもしれない。トニーが死ぬまでそれは中和されない。彼らは、トニーの死を経由し、マリアの反応を目撃することで、はじめて識閾下の束縛から解き放たれる。敵を痛めつける行為による相対化のなかにしか立ち位置を築けなかった彼らが、敵対関係を超えたふたりの深い愛を目撃することで、はじめてその外部に歩み出すのである。

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